百貨店販売員から果樹農家へ。ある女性の選択

私の実家は城里町高久という所です。23歳で独立してからは、墓参りには行っていましたが、実家に立ち寄る、ということはありませんでした。

つい最近、倫理法人会の「後継者育成塾」で出された課題がきっかけで、実家に行ったんです。そのタイミングで、叔父が経営する渡辺観光果樹園を久しぶりに訪問しました。

今回は、渡辺観光果樹園で働く、私の叔母である山口文子さんのお話です。

百貨店販売員から果樹農家へ。51歳の選択

渡辺観光果樹園を訪れたのは2020年5月。広い農園で仲間たちと一緒に梨の摘果(てきか)に励むのが、今回の主人公、山口文子さん(79歳)です。ビールケースにひょいと上がって、慣れた手つきで実を摘んでいきます。

「まとまった場所に、だいたい5つくらい実が出来るのよ。でも、そのままにしておくと実が大きくなった時にお互いがぶつかったり、実の重みで枝が折れたり、うまくいかない。だから間引くんです」と山口さん。

「もともとはね、勝田の伊勢甚(当時:ボンベルタ伊勢甚)で売り子やってたのよ。でも私が51歳の頃に閉店してしまって。父がやってた観光果樹園を手伝うことになったんです」。

梨狩りに行ったことのある方はご存知だと思いますが、梨の樹は枝が横に伸びるように、棚を作って栽培しています。上を向いて、手を上げた態勢での作業が続く重労働。場所によっては踏み台に乗ったり下りたりと、過酷な仕事です。

「今は79歳だから、もう30年近くやってる。摘果って難しくて、ただ摘めばいいってもんではなくてね。バランスがとっても大事なんです」

「枝に対して上向きに実った実もあれば、下に実った実もある。上についてるから摘んだ方が良いとか、下向きだから残した方が良いとか、“正しい”っていう答えがない。だからね、この子はちゃんと大きくなりそうだな、とか、ちょっと今は向きは良くないけど、もう少し待ってたら良い方向に伸びるかも…とか、想像しながら1つずつ摘んでいくんです。だから一気に摘むってことはできなくて。毎日少しずつ、様子みながら少しずつやるくらいが、ちょうどいい」

お話を聞いていて、私は「子育てや社員教育に似ているかもしれない」と思いました。最初はみんなできなくて当たり前だし、不完全でも、育て方や環境次第で大きく立派な実になる。今という短期的な目線で物事を判断してはいけないと教わった気がします。

心強い仲間たちに支えられて

話がそれましたが、山口さんには信頼できる長年のパートナーたちがいます。農業の心強い仲間として、時にはお茶飲み友達として。ともに苦難を乗り越えています。

阿吽(あうん)の呼吸というのでしょうか。お互いの仕事を確認しながら、的確に作業を進めていきます。

「皆さんの協力無しでは梨づくりはできません。私一人じゃなんもできない。みんなで一緒に、笑いながら、お茶飲みながらやってきた。だから身体はつらくても続けて来られたんだよね。有難いことです」

待ち望むファンに応えるため「生かされている」

渡辺観光果樹園では、毎年8月末頃から「なつしずく」という梨の販売を皮切りに、直売所がオープンします。梨とリンゴの販売が年末まで続き、慌ただしい日々が過ぎていくそう。

「毎年、常連さんが律儀に買ってくださってね、梨もリンゴも余らないんです。本当に皆さんに支えていただいて成り立っている。やりがいのある仕事です。だから、ちょっとくらい身体が辛くてもやってられるんだろうね」

山口さんはガンを3回経験されています。最初は37歳だったそう。

「最初にガンになった時に診てくださったお医者さんに言われたんです。あなたはガン体質だから、またかかるかもしれないよって。本当にそうでした。2回目は平成14年、61歳の時だね。孫を抱っこしてる時に左胸に違和感があって、病院に行ったらガンだった。3回目はつい最近。でもぜんぶ、生かしてもらった。神様に、まだ死ねないよ、あなたにはやることがあるんだよって、言われてるんだよね。」

最後にひとつ、質問しました。

「おばちゃんさ、農家の仕事はいつまでやるの?」

「秀徳。仕事って、誰かから必要とされてるからやるんだよね。元気なうちはずっとやるんだろうね」

79歳にはとても見えない若々しさ、小さな身体からあふれ出てくるエネルギー。その源を見た気がしました。

渡辺観光果樹園にはホームページもネットショップもありません。自然豊かな、いいところです。元気なおばちゃんにぜひ会ってみてください。


渡辺観光果樹園
電話:029-289-3532
住所:〒311-4324 城里町高久694

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