中学3年。悪ガキとレスリングの出会い
私、渡辺秀徳とレスリングについて書きます。
私にとって、レスリングは欠かすことのできない大切な要素だからです。
レスリングとの出会いは中学時代にさかのぼります。
当時の私の夢は「プロレスラーになること」でした。
1980年代。初代タイガーマスクやアントニオ猪木、ジャイアント馬場や長州力といったスターレスラーがテレビ画面の中で所せましと暴れる、すごい時代です。
学校に行けば少年たちの話題はプロレスでもちきり。
渡辺少年も例にもれず「いつか自分があのリングに上がって、数々の名レスラーたちと勝負をしたい!」と本気で思っていました。
高校なんか行かずに早くその道に入りたい、と。
プロレスの影響もあってか、気にくわないことがあるとすぐに暴力を振るう、喧嘩っ早い典型的な悪ガキでした。
そんな時にレスリングとの運命的な出会いを果たします。
中学3年生になったタイミングで、レスリング部の顧問から強制的に入部させられてしまったのです。
今振り返れば、私のヤンチャっぷりを何とかしたいと考えてのことだったのでしょう。
行き場のないパワーをレスリングにぶつけたら良い、とでも考えてくれたのかもしれません。
「大人たちが血まみれで、命がけで戦っている(実際は違うということを当時は知りませんでした…)」プロレスにどっぷり感化されていた自分にとって「レスリングなんてはおままごとでしょ」と、まったく興味がありませんでした。
「適当にやってればいいや」くらいの感覚で、レスリングに取り組むことにしたのです。
しかし、実際は違った。
本気で向き合うということ
顧問の先生が本気で私にぶつかってきてくれたんです。
悪ガキとして接するのでなく一人の人間として向き合ってくれたんですよね。
今も私の社員指導には、この時の経験が生きていると思います。
世間から悪ガキ、クソガキと世間から呼ばれるような人間でも、人として真正面からぶつかる。
言いたいことがあるならまず言わせる。それを本気で聞く。
レスリングに出会わなければ、高校にも行かず暴力に明け暮れる日々だったかもしれません。
水戸レスリング協会の理事を務めさせていただいているのも、レスリングに少しでも恩返しができればと思っているからです。
レスリングをやってるヤツはみんな家族
突然ですが、レスリングの競技人口をご存知でしょうか。
日本だけで言えば男子で1万人弱くらいだそうです。女子で2千人くらい。
比較として、サッカーで480万人、バスケットボールが410万人。
一番多いのが体操で2000万人だそうです。桁が違いますね。
レスリングをやっている人の数は本当に少ないんです。
サッカー部やバスケ部が無い学校は珍しいですが、レスリング部は逆に無い学校の方が多いですよね。
さらにレスリングは体重別の階級制で競技を実施するので、練習するにしても体格が近い選手同士でやらないとうまく行きません。
そこで、どういうことが起こるか。
必然的にいろんな学校同士の交流が盛んになります。
茨城県内はもちろん、全国規模での交流がとても盛んです。
大会に参加すれば見慣れた顔同士の戦いになる。だから自然と親しくなるんです。
大人になってレスリングの世界から離れても、その関係性は続きます。仲間意識が強いんですよね。
私には二人息子がいますが、二人ともレスリングをやっています。
レスリングをやっている者どうしの仲間関係を若いうちから築いてほしいからです。
脈々と受け継がれる意思
茨城県はレスリングの強豪県なんです。
これも、あまり知られていない事実かもしれません。
富山英明さんというレスリング選手をご存知でしょうか。
1984年にロサンゼルスオリンピックの男子レスリング57kg級で金メダルをとった方です。
富山さんは茨城町生まれ。富山さんから脈々と受け継がれた「血」が今も茨城県を強豪にしているのです。
茨城には鹿島学園高校や霞ヶ浦高校、土浦日大高校など全国に名を連ねる高校があります。
2019年4月19日・20日と、アダストリアみとアリーナで行われた国体強化選手の合宿を見てきました。
数々の名選手たちが指導者の立場として参加されました。知る人が見れば、とても豪華な顔ぶれなんです。
こんなに恵まれた環境で仲間とレスリングに打ち込めるなんて、うらやましい。
この環境も偉大な先輩方の努力の上に成り立っているということを、選手の一人ひとりに知ってほしいですね。
その時の記事はこちらです。