会社存続の危機、絶望の果てに見えたもの

茨城県水戸市で住宅会社(株)ディレクタや防水・塗装・基礎工事や白アリ予防の(有)シュウトクドローンスクールなど数社を経営しています。渡辺秀徳です。

本日は、水戸東倫理法人会のモーニングセミナーに参加してきました。常々お世話になっている、(株)K.Uコーポレーションの代表取締役である、小室光由地区長のスピーチを聞くためです。

本日は小室さん56歳の誕生日ということで、モーニングセミナーはお祝いからスタートしました。

社員から「ボンボン」への厳しい洗礼

小室さんは1964年ひたちなか市生まれ。小学生の頃から「勉強しろ」より「仕事しろ、手伝え!」と家業である運送業の手伝いを両親から命じられていたそうです。

特にお母さまの厳しさは半端なかったそうで…。大学卒業後は別の会社に就職し24歳で結婚。25歳で専務取締役として両親の会社に就職することになりました。

「サラリーマン生活から、いきなり親の会社の専務ですよ。社員みんな、言う事を聞いてくれるだろうって思ってましたが、私は急に役付きで入社した、いわばボンボン。そんな甘い話じゃなかった。刑務所に裸一貫で飛び込んだ感じ(笑)」

日々現場で揉まれる社員たち、一筋縄では行かない。それでもなんとかしようと、取っ組み合いの喧嘩を繰り返す日々が続いたそう。

「勝つまでやる、が私の主義でしたから。とことんぶつかりました。でもある日、そんな姿を見ていた親父からこっぴどく叱られたんです。そこからは喧嘩ではなく、社員と話し合う機会を設けるようにしたんですが…」

たまの休みになると吐いてしまう、数か所に円形脱毛症ができるなど、小室さんの体調に異変が起こっていたのです。

「仕事中は、常に緊張の糸が張り詰めていて。ちょっと気が抜けると、一気に疲労感が襲い掛かって来るんですよ」

支えていた母の不在、崩れ落ちる日常

そんな日々を送りながらも、仕事が分かりはじめてきた30代、ようやく落ち着いてきた矢先の事でした。

「国税庁の査察で、追徴課税を言い渡された。金額にして1億円。世はバブル崩壊の真っただ中。そんな状況なのに母親は色々な手段を講じて、払ったんですよ。1億円を。私は当時、専務とはいえ蚊帳の外。大変だな、くらいの感じで、他人事として捉えていたんです。でも思い返せば、母親の心労は尋常じゃなかったんですよね」

その1年後、小室さんのお母様は心労がたたり、脳梗塞になってしまいました。

会社の屋台骨だったお母様がいなくなってしまったことで、社員の不安が募り、退職者が後を絶たなかったそうです。当時6人いた事務は1人を残して退職し、会社の歴史を深く知る人はお父様とその方の2人になってしまいました。

「ことあるごとに親父に相談するんですが、親父は現場中心で経営は母まかせ。お金の事は何も把握してなかったんですよ。もう、自分がやるしかないって追い込まれたんです」

バブル崩壊で売上は激減し、会社の現金は刻一刻とゼロに近づいていく。取引先に頼み込んでも仕事はもらえない。銀行は話すら聞いてくれない。

「夜中、会社の自販機の小銭を取り出して、それをデスクの上に重ねるんです。小銭ですから、それで会社がどうこうなるっていうものじゃないんですが。小銭を重ねて、お金のありがたみを感じるんです。10円が、1,000円にも、1万円にも感じる。そんな精神状態でした」

「色んな方に土下座して頼み込んで、お金を借りました。この日までに返します、という約束は必ず守りました。私個人の保険もぜんぶ会社に入れました。ありとあらゆるものを、ぜんぶ売りました。この時ですかね。私の辞書から『無理』と『できない』を消した。暗闇の中を歩く毎日でしたが、小さな針で、穴を空け続ける。そんな感じでした」

それでも社員に払う給料は待ってくれません。当時100人いた社員一人ひとりを社長室に呼び、面接をしたそうです。

「申し訳ないのだが、給料を1万円下げさせてくれないか…。そんな話もしました。私の給料もカットし、いよいよ親父の給料もカットすることになったんです」

当時何百万だったというお父様の給料のカットには、半年を要したそう。

「いつも喧嘩になりました。押し問答を繰り返して半年経ったころ、私、退職願を持って親父に頼み込んだんです。親父、これでだめなら俺は会社を辞める!って。といってもそんな無責任なことは出来ないんで、封筒の中身は白紙だったんですけど…。ようやく親父が折れてくれました」

2度の自殺未遂。自分自身に残っていたもの

「考えられる支出を最大限削って、やれることすべてやって。それでも経営はうまく行かなくて。昔のことをふと、思い出したんです」

バブル崩壊前、経営が順調に進んでいた時代、両親がこんな会話をしていたのを小室さんは思い出したそうです。

「半分冗談で、『いざというときは、親父が死ねば保険金が下りるんだから、何とかなるでしょ!』って、私が母に言ったんですよ。そしたら、『お前に掛けてる保険金の方が良いよ』って言うんです。で、思ったんです。俺が死ねばいいやって。死んだら借金も無くなってラクになれるだろうって」

小室さんは追い込まれるあまり、悲しい決断をしてしまったのです…。

「会社から自宅まで、普通に帰れば10分くらい。でも家に帰りづらくて、ふらふらして1時間くらいかけて帰る日々が続いたんです。ある日、ひたちなかの海門橋の駐車場に車を停めていた。もう、全部やった。お金を作る方法なんて残ってないよ…。気づかないうちに橋の真ん中くらいまで歩いていた。そしたら、釣り人の方が『おい!!!』って声を掛けてくれて。瞬間、はっと我に帰って、体中震え出した。それで、その日は思いとどまったんです」

それでも小室さんの不安は収まらず、小室さんの足は再び海門橋に向かっていました。

「橋の真ん中くらいに差し掛かった時、後ろから首根っこつかまれて。『何があったのかわからんけど…』って、助けてくれた人がいたんです。もう、心身ともにボロボロになって、家に帰ったのは朝方でした。そしたら次女が起きてたんですよね。普段、次女は私にべたべたするような性格じゃないんですけど、その日はなんでか、足元にぎゅっと抱き着いてきて。『俺には、こいつらがいたんだ』って…」

その日を機に、小室さんは「リセットされた」そう。まだやれることはないか、会っていない人はいないか。遮二無二歩き回ったんだそうです。それでも、長く続く不安との戦いで人間不信とぬぐえない孤独感、人への恨み、兄弟への妬み…そんな感情を抱えてしまっていたそうです。

人間不信と孤独、倫理との出会い

「そんな中で、倫理法人会の入会を勧められたんです。正直それどころではなかったんですが、やれることは全てやりたかったので入会しました。思い返せばこの出会いが、私を変えてくれたんです」

小室さんの孤独は、私が推しはかれるものでは到底ありませんが、心のよりどころは「本」だったそう。

「誰にも相手にされないので、頼れるのは本だけ。何気ない一文から、ヒントを得るしかなかったんです。でも倫理は違った。みんな、聞けば何でも教えてくれる。万人幸福の栞は薄い本ですが、私が体験を通して得たことが入ってるんです。ページをめくると『あ、これはあの時の私の心情だ』って、共感できるんです」

小室さんは、倫理で出会う人々の話を「自分ごと」に置き換えて聞くようにしているそうです。

「倫理にのめり込む中で、水戸倫理の事務長を任されるようになりました。当時の会長である宮田さんからは『事務はいいから、普及をやって!』と命じられて、とにかく普及活動に尽力しました。仕事以外はすべて普及。そんな日々です。そして成果も出てきた。そろそろ役を離れて仕事に注力したいな、って時期に、水戸倫理を分法して、水戸東倫理を立ち上げる、というタイミングが来たんです。粘り腰に負けて断り切れず(笑)、私がその立ち上げを担当することになったんですよね」

小室さんはあらゆる手を尽くし、立ち上げ時の目標会員数70名という偉業を成し遂げました。

「単会を作ることは並々ではありません。先輩方がいかに苦労してきたか、良くわかりました」

細く小さくなった父に触れて

「後継者倫理塾の運営委員を任されたことがあるんですが、そこでも気づきをもらいました。塾生が卒業間近という時期に、ある塾生から言われたんです。『小室運営委員も、何か実践をお願いします!』。その頃は、仕事と倫理が忙しくて、親父への仕事の報告がおろそかになってしまっていた。塾を受講された方はご存知だと思いますが、カリキュラムの中に「親の足を洗う」といのがあるんですよね。良い機会だから、それをやろう、と」

小室さんがお父様に足を洗いたいと願い出ると、断られてしまったそうです。そこで小室さんは、お父様をマッサージすることにしたそう。

「実家に帰ると母は寝ていて、親父と二人きり。半ば無理やり(笑)親父をマッサージさせてもらったんですよ。そしたら、思っていた以上に親父は細くて、小さくて。この人は、こんな小さな体で頑張ってきたんだな…って。早く死ねばいいのにとか、親父のせいだとか、そんなこと全部吹っ飛んで、涙が止まりませんでした。親父も泣いてました。そこで、フッともやもやしていたものが晴れたんですよ。それまでは後ろ向きで、過去を見ながら経営していたことに気づいた。親父とそんな時間を過ごしてから、自然と前を向いて未来を見て経営できるようになりました。父ともっと繋がろう。もっと喜んでもらおうって、思ったんです」

お父様をマッサージしてから、小室さんの中の「負の感情」がほどけていったそうです。

「妬んでいた二人の弟たちだって、思い返せば社員が次々辞めて行ったつらい時期にも、文句も言わず黙って仕事してくれていた。ちょっと前に二人とも大病を患った時があって、これで死なれたら困る、何も返してないって思ったんですよ。親父と繋がってからは、いままでうまく行かなかったのが嘘のように、トントンといろいろなものが繋がるようになったんです」

「今までの自分は人を信じられなかった。自分の身内ですらも…。これが間違いだと気づかせてくれたのは倫理です。一人でできることには限界があります。人を信じて行動して、一緒に頑張っていく。これが私が今、大切にしていることです」

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