地獄に堕ちた母と、お盆の話

茨城県水戸市で住宅会社(株)ディレクタや防水・塗装・基礎工事や白アリ予防の(有)シュウトクドローンスクールなど数社を経営しています。渡辺秀徳です。

私の習慣の一つに護摩焚 (ごまだ )きがあり、笠間市にある「新明山 金剛院 岩間不動尊」に、毎月1日と15日に伺っています。以前こちらの記事でもご紹介しました。

今回はお盆にまつわる非常におもしろい話を聞いたのでご紹介します。

優しい母がたどり着いたのは、地獄だった

始まりはある親子の物語なんです。

(表現がぶっきらぼうなのは、申し訳ありません。話を分かりやすくするために尊敬語などは極力省いています。)

お釈迦様がいる時代の話。弟子の一人に目連尊者(もくれんそんじゃ)という人がいた。

目連尊者は修行によって神通力(なんでもできる力)を得て、その力を人々のために活かしたので多くの人々から尊敬されていた。

ある夏の暑い日。

木陰で休む目連尊者の前を楽しそうに歩く母子がいた。

その姿に、何年も前に亡くなった母を思い出した目連尊者は、 神通力の一つ「天眼(いわゆる千里眼)」を使って会いに行くことにした。

優しかった母よ、今はいずこに…

しかし、たどり着いたのは地獄の入口。

目連尊者は「まさか…」と思いながら地獄に入ることにした。

地獄にもいろいろある。

湯が煮えたぎって人間が苦しんでる地獄。 針山地獄。血の池地獄。楯刀を持たされて争っている地獄。人間が切り刻まれる地獄…。そんな地獄が際限なく続くそうだ。

焦熱地獄を覗いた時、そこに母が横たわっているのを見つけた。

母親は目連尊者に駆け寄ってきて、一杯の水を頼んだ。

しかし、目連尊者が水器で運んだ水は熱さで煮えたぎり、持ち寄った食事は火と化した。

一杯の水が変えた、母の運命

無力さに涙した目連尊者はお釈迦様の前に進み出て、このことを話した。

だが、そこで聞かされたのは目連尊者の母親の悪業だった。母は目連を大切にするあまり、道理がわからなくなってしまっていたのだという

夏のある日、目連尊者の家の前を通りかかった人が「一杯の水をめぐんで欲しい」と頼んだ。

水瓶の水はあふれんばかりだったが、母親はふたを取ろうとしない。何度も乞う声に母は「この水は目連の水だ」とこたえたのだった。

インドは暑く、水はどこにでもあるというわけではない。文字通り「命の水」である。

我が子を思うあまり施しを忘れ、道理を見失った母親は、その「愚かさ」をもってあの世に行った結果、地獄に堕ちたのである。

悲しみに打ちしおれる目連尊者は再びお釈迦様をたずねた。お釈迦様は目連尊者にこう話した。

過去を取り返すことはできないが、母親のできなかったことをすることはできる。七月十五日(八月に行う地方も多い)は雨期もあがり、僧侶も夏の修行に一段落つく日である。人々も町に出てくる。この人たちに母親の出来なかったことをするがよい」

この日、目連尊者は百味、百果の食べ物を用意した。食事には多くの人々が集まった。

楽しい食事が終わると、目連尊者は再び母親を訪ねた。

白い雲に包まれた母親がうれしそうに空に登っていくところだった。

目連尊者は飛び上がらんばかりに喜び、お釈迦様に尋ねた。

「もし後の世の人々がこのような行事をすれば、例え地獄にあろうとも救われるだろうか」

お釈迦様はうれしそうに、こう答えた。

「いま、わたしが話そうとしていたたところだ。もし孝順心を持ってこの行事を行うなら必ずや善きことがおこるであろう

その日、村のあちこちから歓声がきこえ、喜びの踊りいつまでもつづいたそうだ。

日本では、この教えによって7月や8月の特定の期間に精霊棚などを設置して、供養を行う行事を盂蘭盆(うらぼん)と呼ぶようになった。

盂蘭盆の語源についてはさまざまな説が提唱されてきたが、近年では「盂蘭盆」は「ご飯をのせた盆」の意味であるとする説が有力となっている。

母の行き過ぎた愛情は子を不幸にする

お盆の由来、いかがでだったしょうか?

この話を聞いて、私にも思うところがありました。

私の友人に、息子さんに対して非常に強い愛情を持つ母親がいます。その息子さんを便宜上Gさんとします。年齢的には立派な大人です。

Gさんの父はGさんのことを認めず、Gさんの行動を全て否定する。

見かねた母は、Gさんをかばって父と衝突するようになり、そんな日常を送るうちに、いつしかGさんは母に対して本当の事を話せないようになっていきました。

自分が怒られないように、父から否定されないように、自分にとって都合の良い話をするのです。母はGさんの言う事をすべて信用し、Gさんにとって障害となるものを排除するようになりました。

結果としてGさんは、別の仕事に就くことになりました。新しい仕事に就いたことで父と母の手をようやく離れることが出来たのです。

しかし、長続きはしませんでした。結局Gさんは母に助けを求めたのです。

職場での出来事を、自分自身の解釈で母に報告し始めたのです…。

ついに母は、Gさんの新しい職場に不信感を抱くようになりました。その結果は…言わなくても分かりますよね。

Gさんは新しい職場も「居場所の悪い場所」にしてしまったのです。

守破離。石の上にも3年では足りない。10年続けて見えるもの

一昔前は、石の上にも3年が通用しました。世の中が厳しかったからです。弟子は師匠の背中を見て学ぶのが普通で、弟子が師匠に気やすく質問なんて出来なかった。

今は世の中が優しくなっています。だいたいのことは聞けば丁寧に教えてもらえるし、インターネットを使えば色々なことが分かりやすく説明されている。

学びというのは、体験が強烈であればあるほど、深くこころと身体に刻まれるものです。若いうちは苦労は買ってでもしなさい、言われますが、若いうちはあらゆる体験が新鮮ですから、いろいろな学びを得るのに最適な時期です。

若いうちから楽ができてしまう現代では、昔の3年に相当する経験をするためには、10年は必要だと思います。

私が大切にしている言葉に「守破離」があります。

武道や茶道などで、修業における段階を示したものです。

」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。

」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。

」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。

私は「守」で3年、「破」で4年、「離」で3年は最低でも必要だと考えています。

コロコロと転職してはいけません、自分が決めた道なのだから、10年は腰を据えて学ぶ

いつまでも親に頼っているようでは、結果的に親も子も不幸になります。

お盆という節目、自分自身の在り方を見直す良いタイミングなのではないでしょうか。

渡辺秀徳でした。

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